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「逃げたGPライダーを追え!!」 1 序章

逃げたGPライダーを追え!! 

清水レース写真 20100310221157bc1絵抜きだし










序章

平成24年12月6日、「テレビ朝日スーパーJチャンネル」の『真実の行方』のコーナ一で、次のような放送がされた。

『神奈川県茅ケ崎市にある建築事務所が建てた家が欠陥住宅であった。
施主に損害賠償の訴えを起こされ、調停に同意しながら、社長は、裁判所から命じられた損害賠償を支払わずに逃げ回っている。
逃亡先から自宅に戻ってきたにもかかわらず、被害者が話し合いに訪ねても、「自宅は親の名義だし、自分には財産が無いから」と開き直り、それ以上追求すると、「支払いを強要され迷惑を被っている」と言って、警察を呼んで追い払った。
それでいながら、子供を授業料が年間200万円もするという〇〇幼稚舎に通わせ、買い換えた1000万円もする最新型のべンツで送迎し、高価な大型犬まで飼い始め、生活の質を全く落とそうとしていない。』

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「逃げたGPライダーを追え!!」 2 栄光から“傲り(おごり)”へ

栄光から“傲り(おごり)”へ
テレビでは明かされなかったその会社は茅ヶ崎市にある「清水建築工房」。
その社長の名前は、清水〇〇。
元モーターサイクル・ロードレースライダー。
1987年全日本ロードレース選手権250ccクラスチャンピオン。
国内で彼にかなうものは無く、1988年から5年間ロードレース世界選手権にフル参戦した。
ホンダワークスのAJINOMOTO TERRA <味の素テラ>のテレビCMにも、颯爽と
したライダー姿で出演した。
いまだに、モーターファンの中には、彼を崇拝する人も多い。
彼の父親と兄は、建築業を営んでいた。
世界を舞台に、秒コンマコンマ幾つを争う熾烈な競争の場に身を置いてきた彼は、
1992年 28歳の時、南アフリカGPを最後に、「身体に優しい、自然素材の家を建て
たい!」そう公言し、惜しまれながらも引退した。
引退後の第二の人生として彼が選んだのは、父親や兄と同じ建築の道であった。
二級建築士の資格を取り、2001年、親から独立して、茅ヶ崎市香川の両親名義の土地
に、彼自らの設計で、事務所&モデルルーム&自宅を建て、「清水建築工房」という有限
会社を興した。
清水〇〇37歳の時である。「清水建築工房」は、役員に両親や妻を据えた“家族会社”
であったが、社長として、数人の従業員と下請けの職人を抱え、会社を運営することに
なったばかりの彼は、同時に、妻と幼稚園児であった息子を養わなければならない父親
でもあった。

茅ヶ崎の自宅兼事務所  
清水自宅兼事務所e絵風 
      main.jpg








紀州杉と漆喰壁を使い、屋上庭園と中庭のある“南仏風の家”、それが「清水建築工房」の売りだった。
彼は、いかにも人目を引きそうに建てられた自邸を、モデルルームとして営業に使い、茅ヶ崎周辺の不動産会社と組んでは、客を家に案内させた。
見事な紀州杉と漆喰壁、そして南仏風のデザインに、客は魅かれてしまう・・・だから、会社の滑り出しは良かった。
自然素材を売りとする資材会社にもうまく取り入って名前を売り、信用を得ることにも、或る程度、彼は成功している。
それまで、もっぱら建売住宅を手掛けていた彼が、ある時から、注文住宅に手を出すようになった。それは、〇〇幼稚舎を受験すると決め、息子を都内の有名塾に通わせ始めた時期と重なっている。
売れても儲けが知れている建売住宅より、イージーに価格設定が出来る注文住宅のほうが、懐に入る利幅は、各段に大きいに違いない。
手始めに、友達やクラスメートなど、知人の家を建てることから始めた。
体裁を整えて、何とかスタートラインに立った彼の第二の人生・・その先に、失速とクラッシュが待っていることを、その時の彼は、まだ知らない。

「逃げたGPライダーを追え!!」 3 魔の出逢い その1

魔の出逢い その1

そんな最中、一組の夫婦が、不動産屋に案内され、「清水建築工房」にやってきた。
その客は、前に建てた家に漏水が発生し、更に、その次に住んだ家にも漏水が発生
し、長い間、漏水に悩まされ続けていた。
「今度こそ、漏水の無い家で穏やかな日々を送りたい・・その願いを是非叶えて貰え
ないだろうか・・
開口一番、客は社長に切に訴えた。 
家を新築する目的は、そこにあるのだから・・・
    しかし、それを聞いていた社長の頭の中は、  
                        「客を取って金を稼ぎたい。そして贅沢な生活がしたい」  
    その一心だった。
    田舎の小さな工務店であれ、「社長!」と呼ばれる事が嬉しかった。
社長には、客の切なる願いなど届いていない。
     社長は、       「客を、絶対に他の工務店に取られたくない」
             「契約を取り付けるまでが勝負だ!!」
             「その為には、何をしたらいいか??」 

             ・やる気の有る、積極的な会社だと思わせればいい
             ・熱心なヤツを演じればいい  
一方的に、「清水建築工房」からは、毎日毎日、せっせと間取り図が、ファクスで
送られてきた。
「契約も、まだしていないのに・・・なんでこんなに急ぐの??」
「これって熱心なの??他の会社とは違うぞ??」 
客は不思議に思った。
それでも、次から次へと、新しい間取り図が、提案と称して、ファックスで送られてきた。
    そして社長は  ・ショールームを兼ねていた自宅兼事務所の内部を案内した
                 ・工事中の現場にも連れて行った
                  材木には、相当、自信が有ったようだ
                  使用している紀州材を得意げに見せて回った
                 ・実際に住んでいる家にも案内し、住み心地を聞かせた
これでも客は、なかなか契約に応じようとはしない。
客にとって、家は一生に一度の大きな買い物である。
A社、B社、C社・・・どこに頼むべきか、客は、慎重に、比較検討して歩く事に時間
を割いた。 
他の業者や設計士にも、相談して回った。
契約がまとまらなければ、設計図など時期早尚・・・もっともっと時間をかけて、慎重
に工務店を選びたい・・・客は、そう考えていた。
                    「 狙った客は、絶対に逃したくない」
              「なのに、客がなかなか契約に同意して呉れない」 
そこで、社長は次の手を考えた。
             「紀州杉は乾燥させるまで、相当時間がかかるんです」
              「今、契約しないと、いい紀州杉が手に入りませんよ」
そう言って、社長自らが出向いて客を説得するやり方。
              「設計は、契約してからじっくりまとめればいい」とも言った。
海千山千の男である。
客の前では、不誠実さなど片鱗も見せない。
契約が成立するまで、仕事熱心な男を演ずる・・・ここまでが、彼の大仕事。
              「紀州杉」「漆喰の壁」、そして「洒落た南仏風の外観や内装」
              
客の前にニンジンをぶらさげて、客が食いつくのをじっと待つ
これが、社長の攻め方。 
  
じゃ、なぜ? 
「地元の工務店は、地元の客を裏切らない」と、よく言われる。
点検、故障や不具合を直して貰ったり、工務店と客は一生の付き合いになる。
近所に住めば、尚の事、下手な工事など出来ない。
それが、地元の工務店に頼む利点と考えていた。
また、小さい会社だからこそ、規格品ではなく、小さな会社にしか出来ない、柔軟で、
思い切った試みや発想が生まれるかも知れない!という期待も有った。
その上、地元の小さな工務店を応援したい・・・という気持も湧いた。
まさか、その思いの全てが、後からアダとなって客に撥ね帰ってこようとは、
誰が想像出来るか。

・契約を済ませた後に、手のひらを返したように、180度、態度を変える人間がいる事。
・表には見えないけれど、裏では、必死に自転車操業を行っている工務店が有る事。
・有名幼稚舎のお受験など、小さな工務店のお家事情に、客が巻き込まれる危険性
  が有る事。
・資格を持った建築士が、建築の専門知識が無い、根本的な、基礎的な工事も出来
 ないで、紀州杉だと?漆喰の壁だと?洒落た設計だと?
 
どんなに鮮度の良い、めずらしい材料を手に入れた所で、料理を知らない人間が
 料理をすれば、台無しになる。
 紀州杉も、漆喰壁も、洒落た南仏風も・・・しっかりとした知識と技術が有ってこそ
 初めて生きる。

それなのに、残念ながら、契約の時点では、これらのことを見抜く事は出来ない。
全部、後になってからわかった事である。

清水氏は、4月6日に契約書を取り交わす事に成功した。
客が初めて、事務所に来た1月15日から、3か月後のことであった。




「逃げたGPライダーを追え!!」 4 魔の出逢い その2

魔の出逢い その2

彼の大工としての技量はどうだったか?
建築士の資格は、机上の勉強で取れたとしても、職人としての知識と技能は、にわか勉強で身につくものではない。
なんとか、型の決まった建売住宅は作れても、注文住宅を建てるノウハウやマニュアルを、彼は持っていなかった。
注文住宅を建てるには、施主との綿密な打ち合わせを前提とした、緻密な設計力が要求される。
   ・一体、どのような打ち合わせをすればいいのか?
   ・施主の要望を、法の範囲内でどのように生かすことが出来るか?
これまでの客は、文句を言える立場にない“全部お任せ” の、友人・知人だけだった。
本当の客を取るには、まだまだ経験が浅かった。
家を建てる上で、客との交渉力構想力設計力スケデューリング力が最も重要である
事に、彼は、気が付いていない。
或いは、「そんなもの、無くたって出来る」と、タカをくくっていたのかも知れない。

契約書はどうだったか?
それは契約書とはとうてい言えないしろものだった。
契約書には、設計図設計内訳書が付いていなければならない。
契約金額完了期限が示されているのは、当たり前のことだ。
それなくして契約書とは言えない。
ところが、その契約書は、ひな形の契約書書式に、一階と二階の間取り図と、壁が漆喰塗とかいう簡単な2枚ほどの仕様表が付いているだけのものだった。
その事について、問いただすと、彼は
    「設計は、これからきちんと要望を聞いて、まとめますから」と言って客を説得した。
しかも、契約金
額は入っているものの、完了期限が契約書に入っていなかった。
客に、完了期限を示した工程表を示してくれるようにと言われ、
彼は、11月末日をもって完了という工程表を提出した。
(しかし、この工程表も、後日、一方的に12月末日をもって完了という工程表に差し替え
られることになる)

なぜ、この時点で「清水建築工房」との契約を止めなかったか?
ここが一番悔やまれる所ではある。
客にとって、家を建てるということは、人生で一回か二回の経験である。
そんな客を手玉に取る事くらい、工務店から見れば朝飯前の話だ。 
とにかく契約を取り付けるまで、清水氏は、非常に仕事に熱心な、好人物を演じていたし、
気の弱そうな彼の容姿からも、質の悪さを、感じ取る事はなかった。
「何としても客を取りたい」・・その一心で、彼は、
ああでもないこうでもないと、口八丁
手八丁で取り入ろうとしていたというのか?
ああいう風に、人は騙されてしまうのか?
情に絆(ほだ)されてはいけない。
あの時が、分かれ道だった。
あの時、強く、強く、強く、「清水建築工房」を跳ね除けるべきだった。 
蟻地獄の入口に立たされている事を、客は、その時、まだ知らなかった。




「逃げたGPライダーを追え!!」 5 迷走する無能建築士

迷走する無能建築士!!

打ち合わせに入る気配が無い。なぜ?
年内竣工を約束して4月初に請負契約を結んだものの、客が「打ち合わせを」と言っても、
「清水建築工房」の設計士Mは、打ち合わせに入ろうとしなかった。
契約前はあんなに熱心だったのに、契約した途端に連絡が途絶えてしまった。
なぜだろう? 客は不審に思い始めた・・・・ 注文住宅の経験が無いのか??
後からわかった事だが、その当時、近くで、建て売り住宅を4軒建てていて、手が回らなかったと言う・・・だが、そんな事情を、客は全く知らされていない
    「とにかく建築許可申請さえ通せば、いつでも工事には入れる。工事に入ってから
          客の要望を入れて完成していけばいい」  社長は、そういうつもりだったようだ。
「清水建築工房」が役所に「確認申請」を出した時、客との打ち合わせは、まだ何もしていないし、勿論、客に図面も見せていない。
客の了解を得ないまま、勝手に、間取り図を作成し、とりあえず建築許可を取った。 
建売住宅ならそれで済む筈だったが、今回は注文住宅である。
客の要望を聞いて、建築基準法に合うように設計図をまとめ、施主の合意を得たうえで、許可
申請を出さなければならない筈だ。 
客の希望も聞かず、図面さえ見せていない・・・これでは、順序がまるで逆。
注文住宅とは言えない。
   社長は、「契約さえして、建築許可さえ貰えば、後は、どうにでもなる。
         これで、主導権は清水建築工房のものだ」と考えていたようだ。
腹の中で、社長が何を考えているか・・・客は、この段階では、わからない。
    社長も設計士も「打ち合わせなど必要ない」もそう思っているから、いつまで経っても
    打ち合わせが始まらない。
いつになったら打ち合わせをするのだろう? ・・・客は心配でならない。 
「早く、打ち合わせをして貰いたい!!」と、何度も何度もお願いして、やっと、設計士が出向いた。
契約から3か月も時間を無駄にしてしまった
12月末竣工の約束なのに、もうとっくに7月に入っていた。

打ち合わせに入ってからの、設計士Mは、どうだったか?
もともと事前の打ち合わせなど必要ないと思っていたから、設計士Mは、熱心ではなかった。 
「私、日曜は休みなので・・・」と、必ず日曜日には休みを取ったし、
打ち合わせも、2時間を過ぎると、「他の用事が有るので・・・・」と、さっさと帰ってしまう。
年内完成に間に合わせるつもりなど有るのだろか??
日曜日に、打ち合わせをして、出来るだけ先に進めたい・・そう思う客の要望に合わせる
心使いなど皆無だった。
打ち合わせの為に、客が平日、わざわざ年休を取らなければならなかった。

客の要望が、設計に反映されたか?
家を建てるにあたって、客は、「清水建築工房」に、幾つかの要望をお願いしていた。
契約前に「出来る」と言っていた事が、契約した途端に、「出来ない」になってしまった。

幾ら言っても、設計に、反映されない。
     ・ 契約を取りたいが為に、口から出まかせを言ってしまったか?
     ・ 後から、何とでも言いくるめることが出来ると思っていたのか?
「約束と違う」
「契約を取り消す」と、客に言われてしまった。
そこに社長が直々出向いて来て、「今後は、自分が担当を替わるから」と言って
客を説得した(社長に替わった所で、違いは何も無かったが)。
設計士Mは、何とかして、最初に聞いていた客の要望に合うようにと取り繕おうと
し、建築基準法に違反する事にも手を染めてしまうことになったようだ。
建築基準法に違反したのは、「客がやれと言ったから」・・・後の裁判で、清水社長は、
その責任のすべてを客に転嫁した。
しかし、建築基準法を学び、順守すべきは、建築士の義務である。

JIOの保証に入れない? なぜ?
社長は、契約時に、「JIOの保証に入れば、何か有っても保険金が下りますよ」
客に説明した。
客はいい制度だと思い、「保証に入りたいので、是非、手続きをして欲しい」と頼んだ。
ところが、或る日突然、 設計士Mから、「保証に入れなくなりました」との連絡が入った。
何故なのか?? その理由を尋ねると、
「この家の屋根が変形だから」という理由だった。
不思議な話だと思った。
確かに、中庭が変形になっている。
でも、これは、「清水建築工房」のほうが私どもに提案してきた設計だ。
間違いなくM本人が考えた設計である。
私どもが是非に!とお願いしたものではない。 
市役所から建築許可も下りている・・ということは、建築基準法に適っているという事
であって、JIOが保証しないとなると矛盾が生ずる。
    まだ設計の段階なのだから、JIOが保証するように、設計を変えればいいし、
    役所には、訂正届を出せば済む話だ。なぜ?そうしないのか?
 そこの所を確認するように、何度言っても、答えは「ノー」だった。
そして、Mは、すかさずこう言った。
    『何か有ったら、「清水建築工房」が全責任を持ちますから。
     絶対大丈夫ですから』・・・と。
「清水建築工房」が全責任を持ちますから?絶対大丈夫?
「清水建築工房」が潰れない保証など、どこにも無い。  
後からわかったことだが、実際には、
   ・建築基準法に違反した建物なので、保証が下りない事は最初から分かっていた。
   ・だから、申請自体していなかったのかも知れない。 
日本建築検査研究所の岩山氏は、後に、この時の状況を、
JIOが行った地盤調査で表層改良が適切であると結論を出したにも関わらず、
表層改良で行わなかった為に、保証が下りなかったのではないかと判断した。
工務店と施主は、信頼関係で成り立っている。
 施主は
、建築に関して素人であり、専門的な知識が無い。
工務店が「絶対こっちのほうがいい」と言えば、「そうなのか」と思ってしまう。
客を「いいカモだと思っている工務店が有ろうなどとは、その頃は気づかなかった。
信じなければ・・・という気持ちと、
先に進めば進むほど、疑問?が増えて行く不安が交錯する。
 「やめたい」
「契約を解除したい」・・・気持ちが言葉になって表れた。
 
しかし、社長は、引き下がらない。
苦労して取った客を、ここで逃すわけにはいかなかった。
狙った獲物、食らいついた獲物を、絶対逃したくなかった。
社長は、客を丸め込むのに、必死だった。
その為に、彼は全才能を使った。  
  
 


「逃げたGPライダーを追え!!」 6 無能の上塗り

 無能の上塗り!!

新築するところは、川のすぐ側だった。
当然地盤の軟化が予想され、地盤補強が必要だった。
清水建築工房は、柱状杭による補強を提案してきた。
しかし、その後裁判に出された鑑定書で指摘されたように、水の出るところに柱状杭では補強にならなかった。
柱状杭による補強というのは、家を建てる何か所かに穴を掘って、コンクリートを流し込む工法である。
地面の底の方の地盤のしっかりしたところまで、穴を掘って杭を立てようということである。
柱状杭の地盤補強の一つ意味は、杭の周りの土の摩擦で、補強するということにもある。
ところが、水が出れば、杭の周りの土は泥になる。いわば、杭を下に付けた家が、泥水に浮いているような格好になってしまう。
柱状杭は、ここでは場所的に地盤補強にならなかった。
清水建築工房は、裁判でこう主張した。
「最初、表層改良による地盤補強を提案したが、客にもっと金額が安くならないかと言われ、柱状杭による工法を提案した」と。
清水建築工房から、表層改良による地盤改良の見積書と柱状杭による地盤改良の見積書が提出されていた。
清水建築工房の言い分どおりに、表層改良を最初に提案したのならば、表層改良の見積書が最初に出されて、その後、柱状杭による見積書が出されたはずである。
ところが、裁判で客から提出された見積書の日付は逆だった。
柱状杭の方の見積書が先に出された後に表層改良の見積書が出されていた。
これでは、表層改良の見積が高いと客が言ったので、柱状改良を提案したという言い分は通らなくなる。
実際には、こうだった。
清水建築工房は柱状杭による工法が、最適と考え、提案してきた。
しかし、当時客が住んでいた家の隣でも、家が新築されていた。
その時の地盤改良の方法が表層改良だった。
それを見ていた客が、あのような方法でやった方がいいのではないか、見積もってくれないかと言われて表層改良の見積書を出したのだった。
しかし、清水建築工房は、柱状杭による工法が一番安全な方法と考えていた。
客に、地盤は一番大事なことなので、きちんと説明してくれと念押しされて、地盤改良の業者も引き連れて行って、この工法が一番安全でしかも安価にできますよと口を揃えて説明した。
素人の客にそれ以上反論する知識は無かった。
その結果、柱状杭による工法になったのだった。
清水建築工房の知識不足、研究不足によるものだった。
DSC00436小モザイク 






           


            この川の側に建てられた 

「逃げたGPライダーを追え!!」 7 限りなく報われない努力

限りなく報われない努力!!

上棟は10月2日になった。
しかし、この時点でも出来ていた設計図は「間取り」と「外観」だけ。
その段階で工事に入り、3か月で仕上げると清水建築工房は客に約束した。
清水建築工房の設計士のMは、打ち合わせの際に、記録を残すことをしなかった。
打ち合わせと言うのは、記録を残し、その打ち合わせの記録をお互いに確認し合いながら進めていくものだが、そんなことは知らなかった。
施主と確認し合うことも無かった。
設計図は無い。
監督も居ない。
そんな現場で、大工達は困り果て、右往左往するばかりだった。
そのシワヨセが、全部、施主にきた。
大工は何でもかんでも、施主に直接聞きに来る。
出来上がりのイメ-ジを、現場で施主に書かせ、客に口頭で説明させながら工事を進める。
客が書いた手書きの紙を貼り付けて、大工はそれを見ながら、工事を進めて行く。
行き違い、トラブル、やり直しの連続だった。
客は、毎晩のように夜遅くまでイメージの図を書いて、大工に渡した。
DSC01296小 
                                     施主が渡した図


仕事を終えて帰ってから、夜遅く現場に行って、メモを貼ることもあった。
しかし、素人の客に細かな寸法など、合わせることはできない。
清水建築工房がこちらのイメージを設計図に落として、それを客に投げ返してくれるはずと思っていた。
そうして欲しいと言っていた。
しかし、そんなことはする気が全くなかった。
やっているうち、寸法が合わなくなる。
それは、客の責任になった。
ああ言ったではないかと客を責めた。
客の言うとおりやっただけだと。
客は、イメージを伝えてくれと言われて、図を書いてみせただけではないか。
どのように寸法を合わせるのかは、清水建築工房が設計してやるべきことだ。
きちんと設計をして、それを客に投げ返し、これでいいのかと打ち合わせをしてからやるものではないか。
素人が書いたイメージ図を、大工がそのままやっていくなどというのは、おかしい。そんなやり方は、ありえない。
しかし、何度願っても、言うことを聞かない。
一度は、社長が現場で客を大声で怒鳴りつけた。
途中で寸法が合わなくなったのを、客の妻のせいにした時だった。
奥さんに言われたからそうした、などと客の妻のせいにした。
妻が怒って自宅から飛んできて、私がそんなことを言ったというのと社長を問い詰めると、社長は『現場でその都度決めていくのが、地元の工務店のやり方だ、資金はどうなっているんだ』と、客夫婦に向かって恫喝したのだった。
客に、大工達の前で大変な恥をかかせたのだった。
契約前の社長の顔は、もうそこには無かった。
すんなり金を払う客は<良い客>、すんなり払わない客は<悪い客>、それによって彼の客に対する態度は変わるという二面性を、客は見た。
何か、したたかな、もう一つの裏の顔が見えたような気がした。

「逃げたGPライダーを追え!!」 8 身の程しらずの拝金主義

身の程知らずの拝金主義!!

お金を何時払って貰えるのか、それが社長の一番の興味だった。
何故かは後で解る。
しかし、そこまで、客はすでに2000万円近いお金を払い込んでいた。
もともと契約書には、お金を途中で分割して支払うなどと云う条項は無かった。
途中で分割して支払って欲しかったのなら、きちんと契約書に謳っておかなければならなかったのだ。
そもそも、途中でお金を要求する事自体おかしなことだということに気づいていない。
契約書を軽んじていた。

契約に定めた金額についても同じ事、その金額内に納めようなどと全く考えていなかった。
竣工の期限が過ぎても、殆ど出来ていない。
そんな中で、社長は、客に、見積もりを500万円も上乗せして請求してきた。
契約書の金額はあって無いようなものだった。元々どんぶり勘定だった。
設計が出来ていない所は、概算一式と書いてある。
これではいったい何が金額に入っているのかわからない。
こうして欲しいというと、値が上がった新しい見積書が出てくる。
それでは、特注ではない清水建築工房の標準と言うのは何なのかと言っても、注文住宅の経験の浅い清水建築工房には、そんなものは無かった。
分厚いカタログを渡され、この中から選んで欲しいとか、こういうものしかありませんと言って来るのだった。
しかし、それは当初要望していたのとは違うものでしかなかった。
出された見積書は12通にも及んだ。



DSC01434小 


  







    次々と出されてきた見積書

「逃げたGPライダーを追え!!」 9 責任転嫁の方程式

責任転嫁の方程式!!

客は、ジワジワ金額が吊り上げられていくので、いったい最終的にいくら払えばいいのかわからず、これでは、とても資金計画が立たないと、途方にくれてしまった。
何か言えばすぐ新しい見積もりがでてくる。かと言って、標準でやってくれと言っても、標準となるものが無い。
大きな建築メーカーなら、標準となるものがあって、それを超えるものを依頼するとオプションといって値は上がる。
しかし、清水建築工房には、そんな標準となる物が存在しない。
しかも、金額がどんどん嵩んでいくのに、当初要望していたことが、何も設計にはいかされていなかった。
客は驚いた。
これだけはやりたいと設計当初に要望していたことが、ことごとく無視されていた。
設計図が無いので、客はそのことを知る事はできなかった。
清水建築工房に伝えると、それをこれからやるためには、別途見積ですと見積書が別に出された。
当初打ち合わせていた設計士Mは、もう出て来なくなっていた。
現場で、大工に設計の誤りをなじられてから、現場で見かけたことは無かった(会社を辞めて、何処に行ったか分からないと、後日社長が裁判所で言っていた)。
しかも、社長が責任を持ってやると言っていたのに、一方的に担当が代わると言ってきた。
建築士の資格を持たない女性の担当だった。
監督もできる筈はない。
これは当初要望していた事だと言っても、あわてて取り繕いの代案を考えてくることしかできなかった。
客の要望をまず設計に入れるのが、注文住宅のはずではないのだろうか。
要望が通らない、しかももうこれ以上のお金を出す事もできない。
どうしたらいいものかと躊躇していると、お宅が決断できないから時間がかかるのだと客を責める始末だった。

度重なる入金の催促がされたが、「納得のいかない金は払えない。第一、契約と全然違う」と客は当然断わった。
その途端、社長は、職人を工事に入れなくなった。
何も決まっていないから・・・お宅が決めないから工事ができません・・・それが客につきつけられた、表向きの理由だった。
何故ここに至って何も決まっていないのか・・・設計監理、工事監理、スケヂューリングの管理の杜撰さを、全て客に転嫁して、平然としていた。

工事現場は、何日も、何ヶ月もほったらかされた。
家の周りに張り巡らされていた養生シートは剥がれて、風の吹くままに醜く翻っていた。
工事途中の現場は、風雨に曝され、外に置きっぱなしの材木に放火されないとも限らない。
夜中に材木を持って行く人もいた。
猫が入って糞をしたりもしていた。
火を付けられてもわからない。
客は心配で眠れない日々が続いた。
工事現場の管理は、施主に引き渡すまでは、工事会社の責任で管理すべきものである。
しかし、養生シートを結んで、周りに迷惑がかからないように現場を管理をしなければならないのは、客だった。
清水建築工房は、責任を放棄した。
もう勝手にすればいい・・・そんな社長の声が聞こえてきそうだった。
台風の後でさえ、誰一人、現場の様子を見に来る事は無かった。
野ざらしのまま、少しも先に進まない工事現場・・・その様子を見て、側の道路を通る人々は、「何時になったらこの家は出来上がるのか???」と不審がっていた。

大工にとって一番大事な、「施主の命」を預かる使命が有るということを、心に刻んではいなかったのか。
かつてのレーサー時代に、自分の「命」を守ってくれたのは、優秀なピットクルーだったということに、気付きもしなかったのか。
レーサーとしての経験は、彼を成長させる一助にならなかったということか。

「逃げたGPライダーを追え!!」 10 虚栄心の行方

虚栄心の行方!!

職人は工事現場から引き上げてしまった。その職人は何処に行ったのか。
社長は、鎌倉七里ヶ浜に、自邸を新築していた。職人達は、豪邸にするためにそこに投入されていた。
そのための資金も欲しかったのだった。
早く自邸を完成しなければならない都合があった。息子が〇〇幼稚舎の受験に受かったら、テレビで全国放送される・・その時までに、豪邸は完成していなければならない・・立派な家具も揃えなければならなかっただろう。

日本テレビの「バンキシャ」という番組で、次のような放送がされた。
全国でもあこがれの〇〇幼稚舎を、受験勉強をしている様子から、受験をして合格するまでのドキュメント番組だった。
その間ずっと取材陣が張り付いての取材だった。
母親は、〇〇幼稚舎に合格させるために、4歳の幼子の手を引いて、鎌倉から練馬まで往復5時間を掛けて、難関受験専門の幼児教室に2年間通った。

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果たして合格できるのか、はらはらさせながら、その子は、ついに憧れの〇〇幼稚舎に合格する。その豪邸もテレビで紹介された。
その反響は大きく、鎌倉の豪邸に住んで、しかも社長の息子で、〇〇幼稚舎に通う・・・まるでシンデレラボーイの如く、あこがれの対象になっていた。
その子こそ、清水建築工房の社長の息子だった。
この日の取材を待っての豪邸完成のようだった。
そんな事情を知らない客は、職人が来ない新築現場で、工事を何ヶ月も放置され、
挙句の果てに、危険な箇所を残したまま完成を見ないで、社長は工事から撤退してしまった。

< 鎌倉市七里ヶ浜社長旧自邸 (広告写真より)>
清水自邸鎌倉外観モザイク 清水自邸鎌倉内部

ジャグジー風呂 

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Author:kekkanzyuutaku
欠陥住宅を建てて逃げた茅ヶ崎市の清水建築工房の社長を追っています。御存知の方はお知らせください。

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